うつ病生活保護受給者のミニマルライフ

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古谷経衝さんの「意識高い系の研究」を読みました

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古谷経衝さんの「意識高い系の研究」を読みました。

引用レビューします。

「意識高い系」の定義

まず、本書で展開されるリア充の定義は次の通りである。

 

  1. 土地に土着している(先住民=ジモティ
  2. その土地は両親など(上級の親族)から相続したもの(同居含む)である
  3. スクールカースト」においては、第一階級に所属していた(支配階級)
  4. 右記を踏まえて、他者へのアピールの必要性を有しない(自明性、閉鎖性)
  5. よって自己評価はおおむね相応である(プライドの類いには概して無頓着)

 

一方、「意識高い系」の定義は、リア充とは正反対であり、次の通りである。

 

  1. 土地に土着していない(後発の賃借人または分譲住宅取得者=よそ者)
  2. その土地を両親など(上級の親族)から相続していない
  3. スクールカースト」においては、第一階級に所属せず、もっぱら第二階級に所属していた(中途階級)
  4. よって、承認経験が乏しいために、必要以上に他者へのアピールを欲する(承認欲求、開放性)
  5. 自己評価が不当に高い(異様にプライドが高い)

 

大学でも終わらないスクールカースト

大学への進学先がすでに内定している内部進学者は、受験競争失敗などによる浪人の危険性がほぼ存在せず、よってその有り余るエネルギーを受験勉強などではなく、他社との会話術、異性交遊、コミュニケーション全般やファッションへの機微などに投資することができるのである。青春時代の多感な数年間を、ひたすら「不合格」の恐怖と向き合いながら神経戦のように受験ですり減らしていく「一般学生」と、何らその心配のない「内部進学生」の精神の余裕の格差足るや、明瞭となるのは当然である。これが精神の余剰資本を持つものと持たざるものとの歴然たる格差である。そしてその余剰資本の格差は、結局のところその本人の親の不動産、つまり土地によって決定されるのである。

それはまるで内部進学者は、ティーガー戦車で、「正面」から入学した人間は村田銃を持った民兵のようである。

 

自己宣伝としての被写体

学習塾の夏期講習に参加した自分を撮影することに、なんの意味もないのとおなじである。

なぜなら、夏期講習の目的は夏期講習への参加それ自体ではなく、それを通じた学力向上や試験問題への経験蓄積だからである。

夏期講習を受講した結果、志望校に合格した自分を合格者掲示板の前で三人称として撮影することはあるかもしれない。それは合格発表という非日常の記録だからだ。だが、夏期講習に参加している自分を三人称で写す受験生を、私は寡聞にして知らない。そこに参加することを記録する意味はないからである。

しかし、「意識高い系」と呼ばれる人々が競うようにSNSにアップロードする写真群には、本来撮影者であるはずの自らが被写体となって、このようなイベントやセミナーに参加している自分そのものを写しているものがあまりにも多い。

そしてそれはSNSやブログなどを使って、(その公開範囲は別としても)公にされ、事実上、他者へのアピール、訴求として使用されている。この場合、彼らは何をアピールしているのか。何を見せびらかしているのだろうか。